心に余裕を持って、日常の動作のひとつひとつを丁寧に行う「ていねいな暮らし」。
ライフスタイルそのものに憧れを抱いて実践している人が大多数だとは思うけど、中には必要に狩られてていねいに暮らしている人も一定数いると思う。
ていねいに暮らすことで、あらゆるストレスによってポッキリと折れそうになる心を守っている人たちが。
ていねいな暮らしとは
さて、そもそもていねいな暮らしとはいったいどんなものなのか。
ざっくりと特徴をまとめてみる。
・手仕事が好き
・土鍋でご飯を炊く
・蚤の市で食器を集める
・化学調味料を使わない
・季節の花を活ける
・やたらと自然派にこだわる
・綿や麻素材のワンピースを好んで着る
・とにかく無印良品が好き
・冷えとり用の靴下を履く
斜に構えた目線で見ている感満載ではあるが、実は私はていねいな暮らしに憧れている。
雑な女がていねいな暮らしに憧れる理由
私の普段の生活は間違ってもていねいではない。
文明の利器に頼りまくる。手間はいくらでも省きたい。手作り信仰ゼロで化学調味料を多用する。酒は缶から直で飲む。
とにかく
多少雑に生活したって死にゃしないから適当でいいだろ
という基礎が頭の中にある。
そんな私でも、たまにていねいな暮らしをしたくなる瞬間がある。
インスタやyoutubeの中のていねいな暮らしをする人々を眺めて、意識を高めたくなる日がある。
雑な暮らしをしていると不意に死にそうになる
雑な生活を送りながら生き延びてきたこのうん十年間。
ふと気がついた。
無性にネガティブな気持ちになるときは、日常の雑が積み重なって生活が荒れているということに。
で、そういうときって生活に関するあらゆることが嫌になる。
料理作りたくない。お風呂はいるのだるい。髪乾かすの面倒臭い。ホコリやゴミが目に入ってつらい。鏡にうつる顔はむくんでどこまでもブスな気がするし、そもそも鏡もなんか汚くてしんどい。
そういう身の回りの小さい「しんどい」はどんどん派生していって。
仕事いきたくないとか、人に会いたくないとか、何が楽しくて生活してるんだっけとか、なんかもはや生きてるのがしんどいなとか、そういう思考になってくる仕組み。
必要に駆られてていねいな暮らしをする女
雑な生活を送っていると、時として思いっきりネガティブな気分になる私。
そういうときに意識が向くのが、ていねいな生活。
というより、
それをしないとそのままズブズブと沼に沈んでいくという自覚があるので、やむおえずていねいに暮らす
といった表現の方が正しいかもしれない。
「ていねいな暮らしをしている人」を演じてバランスをとろうとしてるんだと思う。
身の回りを整頓したり、扉を静かに閉めたり、買えばすぐに手に入るものをわざわざハンドメイドしてみたり。
最初は「何やってんだ…正気に戻れよ…そういうキャラじゃないだろ…」とか思ってるんだけど、ていねいに暮らしているうちに段々と心に余裕がある人っぽい気持ちになってくる。
動作や思考を少し穏やかにしようと意識してるだけであって、本質的な人間性や状況はなにひとつ変わってないんだけど。
この勘違いが、心にいっときの平穏をもたらすわけです。
ていねいな暮らしで心の余裕を取り戻す
雑にすませようと思えば、大抵のことは雑にすませることができる。
でも、面倒なことにこれだと心がやられることがあるのだ。
元気なときはなんともない。雑な暮らしをそれなりに謳歌しているし、どこまでも適当な自分を愛せていると思う。
でも落ち込んでるときは全然ダメ。ただでさえ辛いのに汚い部屋でジャンクフード食べてすっぴんでスウェットは毛玉だらけ、なんてなった日には泣きっ面に蜂なわけ。
そんな自家発電的しんどさを和らげるために役に立つのがていねいな暮らしなんだと思う。
適度に雑か、適度にていねいに暮らせたらいいんだけど、とにかく私は「ちょうどよく適当に」ができない。
そんな感じで、「雑に暮らすと落ちるとこまで落ちてしまうから」という理由でやむなくていねいな暮らしに振り切ってる人もいそう。
ていねいな暮らしをしてる人=心に余裕がある人
とは限らなくて、
ていねいな暮らしをしてる人=心に余裕を持ちたい人
の場合もあるんだよな〜という、ひとりごとでした。